書きたいように書こう

腰のひとつも振れないで踊らされるのはごめんだ。

初記事

 ブログもTwitterも、何度もアカウントを作って、その度にはじめは気合いを入れてやるし、実際楽しく使っているが、しばらくすると中途半端に放置したりアカウントを削除してきた。

 そんなことを繰り返すうちに、自分が結局何をしたくてそうしたブログやSNSを利用しているのかわからなくなった。

 僕の場合、ネット上での繋がりはリアルの自分の生活とは一切関係ない。それでも人と関わるのが嫌になることがある。ネット上の緩いコミュニティや愛好家同士の関係性であってもどこか息苦しく感じてしまう。自ら求めていったのに。

 なぜそうなるかというと、ある程度関係性ができてくると「あの人はこういう話題嫌いだろうな」とか「この話したらフォロワーいなくなるかも」など、「誰かに嫌われたくない」という思いがはたらくからだ。

 

 実社会でも人付き合いは苦手だ。同じ職場の人間や仕事で会う人たちとそこまで密接な関係を築くことなどできないし、したくもない。僕にとって社会と付き合うことはイコール疲弊でしかない。

 家族や恋人、友人との関係も正直苦手だ。家族、親類とはうまくいってないし、恋人や友人とも適切な距離で付き合えた覚えがない。そもそも友人と呼べる相手が少ない。

 嫌われたくないという思いからいい人であろうとする気持ちと、顔も知らない人とどんな距離感で接すればいいかわからないということから、結局はすべてが面倒になってしまうのだ。

 

 では何故再びブログやTwitterをやるかといえば、やはり自分の中にあるものや感じたことを残しておきたいからだ。

 そして、これまでと違うことが一つ。それはかっこつけない、ということ。誰かによく見られようという気持ちを廃して本当のところを書くようにしたい。ネットだからといって虚像の自分を演じることはやめる。

 そうした気持ちで書いたり、また書かなかったり、飾らず自分の思うようにやっていこうと思う。